大阪高等裁判所 昭和40年(行コ)12号 判決 1965年12月16日
控訴人(原告) 柴田勝正
被控訴人(被告) 枚方市長
訴訟参加人 株式会社小松製作所
主文
原判決を取消す。
本件を大阪地方裁判所に差戻す。
事実
控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する」との判決を、参加人代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、
控訴代理人において「一、納税者訴訟の対象となる「財産の違法な処分」にいう「財産」には、賦課処分により確定した具体的な租税債権さえも含まれないと解すべき合理的理由はない。即ち、地方公共団体が有する地方税賦課徴収権そのものは、地方公共団体の行政権能であり、それ自体を納税者訴訟における「財産」とみなすことができないのは当然であるが、本件の延滞金、延滞加算金のごとく、賦課処分により確定した具体的な租税債権は、それ自体が地方公共団体に帰属するに至つた具体的な「財産」といわねばならない。このことは改正に係る地方自治法の規定自体において疑問の余地なく解決されている。
即ち、改正後の地方自治法第二四二条第一項は、住民監査請求の対象の中に「違法若しくは不当な公金の支出、財産の取得、管理若しくは処分」等の外、「違法若しくは不当に公金の賦課若しくは財産の管理を怠る事実」をも含め、また「財産」の意義について、第二三七条において明確な定義を下し、財産中の債権とは、金銭の給付を目的とする普通地方公共団体の権利であること、債権には地方税法の規定に基く徴収金に係る債権が含まれることをも明確化した(第二四〇条第一項、第四項)。従つて改正法の監査請求の対象である「違法若しくは不当な財産の処分」にいう「財産」には、具体的な租税債権が含まれていることが、二義を許さぬ形で明らかとされた。しかも本改正は、旧規定にいう納税者訴訟の対象を変更したものでなく、従来からの対象を法文上明確化したものというべきである。そして、納税者訴訟の性格が法改正の前後で変化したと見るべき合理的理由がない以上、従来法文上必ずしも明確でなかつた法解釈については、改正法の内容をも斟酌して合目的的に解釈することが合理的である。本件延滞金は、普通徴収の方法により被控訴人において徴税令書を小松製作所に交付したことを前提とし、又本件延滞加算金は督促状の発行を前提とするもので、いずれも確定金額に拠り、具体的に確定した租税債権に外ならない。二、納税者訴訟制度の沿革が、アメリカにおける納税者訴訟をモデルとして作られたものであることはよく知られているが、そのうちニユーヨーク州の制定法では、救済を求め得る行為として(1)違法な公務上の行為、(2)財産、公金もしくは不動産の浪費又は侵害、の二つを挙げており、そのうち前者については、地方団体の保有にかゝる財産や公金を制定法、市憲章、条例その他の法令の規定に違反して処分、契約、支出する等の私法的取引行為の色彩の濃い行為のみならず、条例の執行、税の賦課徴収、特許免許の下付のごとき純粋の公権力の発動たる行政処分も含まれ、従つて、行為の性質の如何を問わず、地方団体の行う一切の違法な行為が訴の対象となるといつても誤でない如くである(自治研究二九巻八号、成田頼明「いわゆる納税者訴訟について」、特に四〇頁参照)。我国における納税者訴訟がアメリカ法の強い影響の下に、というよりも、むしろそれをそのまま移植したものとして制度化されている以上、アメリカにおける上述の制度の運用並びに解釈を我国地方自治法の解釈より除外することは妥当でない。三、納税者訴訟制度の目的が、被控訴人主張の如く、「住民が、その一部分は自己の出損により形成され、従つてその部分についてはいわば委託者として権利を有する地方公共団体の財産につき看視、発言することを許そうとの制度」であるとした場合、賦課処分により確定した具体的租税債権を、地方公共団体やその機関が違法に処分し、それを消滅させることにより、住民が受益者であるべき地方公共団体の財産を減少させ、住民にそれだけの被害を与えるという事態が生じた場合に、それが租税債権即ち公法上の債権であるという一事を以て、本制度から除外するということには、何等の合理性がない。四、原判決はその理由中において、本件免除措置を争うには、専ら新法の「違法若しくは不当に公金の徴収を怠る事実」として別訴を提起すべきであり旧法の規定による本訴において争うことはできない旨の見解を示し、所謂「怠る事実」は新法により特に納税者訴訟の対象として創設的に附加されたものであり、旧法の規定においてはこれに相当するものはなかつたと判断するものの如くである。しかし右判断は理由なき独断である。即ち、(1)先ず新法附則第一一条によれば、新法施行前の違法若しくは不当な行為に対する請求並びに裁判は、新法によつてなすべきであるが、新法施行前になされた請求や裁判は旧法のまゝ維持すべきことを明示しており、原判決判示の如く新法に基く別訴を新に提起すべきであると言う様な趣旨は全く窺われず、むしろ、新法にいう「怠る事実」をも含めて、旧法による手続が維持せられるべきことが前提とされている。右附則第二項の「なお従前の例による」との趣旨は、請求並びに訴訟についての手続が旧法に基いて行われると言う当然の事柄を記載したものであつて(新、旧両法では手続上若干の差異がある)、請求対象の範囲が新旧両法で異ることを意味するものではない。(2)、更に新法第二四二条の二第四項は、納税者訴訟につき別訴を禁じている。新法附則は、新法施行前から引続いて「怠る事実」について、新法の規定(手続)による請求並びに訴訟の途を拓いているところ、偶々新法施行前の「怠る事実」に対する請求を旧法により既に請求提訴しているときに限り、改めて新法の手続によらねばならぬとすることは、何ら合理的理由がなく、請求人に二重の手間をかけさせ従来の訴訟資料を無意味ならしめるものであり、従つて、新法附則は本件の如き場合、旧法による本訴を取下げ新訴の提起を要請するものとは到底解し難い(文理的にみても、新法附則第一項にいう新法の規定は「次項に定める場合を除き」旧法施行前から引続いて怠る事実に適用すると言うのであるから、第二項にいう「従前の例による」とされる請求並びに裁判には、右の「怠る事実」に対する請求並びに裁判が含まれているのは当然である)。」と陳述し、
被控訴代理人において、「一、控訴人の当審における主張は、旧法と新法とがその適用対象を同じくし、旧法にも「怠る事実」が包まれていることを前提として立論しているのであるが、右前提事実が既に失当である。二、控訴人は、新法附則第一一条二項の「なお従前の例による」との趣旨について、前記前提に立脚しつゝ、「請求並びに本訴についての手続が旧法によつて行われるという極めて当然の事柄を記載したものである」とするのであるが、控訴人主張の前提に立脚する限り、「新法施行の際現に係属している旧法第二四三条の二第四項の裁判」について、ことさら「従前の例による」として旧法を適用しなければならぬ必然性はないのであり、新法を適用しても何等差支えがない(新旧両法で手続上の差異があるのは訴訟提起に至るまでの手続であつて、訴訟提起後は行政事件訴訟法に従つて審理がなされる)筈である。三、控訴人の別訴禁止規定の存在等に関する主張も、前記前提事実に立脚するものであつて失当である。新旧両法では適用対象が異るのであるから、本件の如く旧法の対象ではない「怠る事実」について提訴中、法改正により「怠る事実」も対象とされることとなつたため、改めて新法により同一訴訟物について提訴せんとする場合には前訴を取下げなければならないが、これは一般に二重訴訟を禁止する法律の規定(行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第二三一条)に由来する結果であつて、控訴人主張の如く新法二四二条の二第四項の規定に基くものではない(右規定は、株主総会決議取消の訴と同様、住民が個々に訴えた場合判決が区々になる虞れがあるので、かゝる不当な結果を回避せんとして設けられたものであり、本件とは何の関係もない。)四、所謂納税者訴訟は、その発祥地たる米国での法発達の歴史をみれば、原判決判示の如き本質と目的を有するものであり、従つて自己の出損により地方政府の所有に帰した以外の財産、ことに他人の負担すべき納税義務につき干渉を許すものでないことは、疑がない。ただその後米国の若干の州では、州が違法または不当に特定の住民に対し租税を課さず或は免除した場合、他の住民が州に対し職務執行命令を訴求することを許すに至つたのであるが、右の変化は「信託の思想」から「公平の思想」へ、「納税者訴訟」から「住民訴訟」への転化であると言われている。本件における旧法から新法への改正は、まさに右のような転化に照応するものである。そして新法附則第一一条は、右の如き制度の本質及び目的の転化、それに伴う適用対象の拡大に際し、その経過措置を定めた規定であつて、控訴人主張の如き趣旨ではない。」と陳述し、
参加人代理人において、「新法所定の「怠る事実」は、新法によつて新たに納税者訴訟の対象として創設されたものである。即ち、(1)租税徴収権はそれが具体的に確定したものであつても、第三者への譲渡性がないから財産ではない。(2)新法附則第一一条第一項は「公金の処分等」と「怠る事実」とを区別し、前者については新法施行前になされたものについても一律に新法適用の対象としているが、後者については、新法施行前から「引続いている」場合に限り始めて新法適用の対象としており、従つて、新法施行前になされた既往の「怠る事実」は新法適用の対象外とされている。若し旧法が「公金の処分等」に並べて解釈上「怠る事実」をも訴訟の対象に含めていたものとすれば、当然新法処理の対象としては両者一様に取扱うべき筈である。しかるに新法附則において、前記の如く既往の「怠る事実」について、既に完了した場合と、それが新法施行時まで「引続いて」いる場合とを区別し、後者のみを新法適用の対象としていることは、「怠る事実」が旧法解釈上も訴訟の対象とされていなかつたことを示すものである(新法附則が既に完了した「怠る事実」(即ち旧法対象外のもの)を新法の適用から除外したのは、一度得た利益や確定した法律関係を新法で遡及して覆滅さすことが人民の権利や法律関係の上で得策でないからである)。なおその他被控訴人の主張を全部援用する。」と陳述したほか、
原判決事実摘示と同一であるから、こゝにこれを引用する。
理由
一、控訴人が枚方市の住民であること、被控訴人が昭和三七年八月一三日枚方市議会の承認を得て枚方市に所在する参加人の一部固定資産に対する延滞固定資産税総額金四〇、八九五、三八〇円の延滞金二一、七七一、三八〇円及び延滞加算金二、〇四四、八二〇円を免除し、その頃口頭で参加人に通知したことは、当事者間に争がない。控訴人及び原審相被告伊藤宣吉の両名が、昭和三七年九月二四日枚方市監査委員に対し、地方自治法第二四三条の二第一項(昭和三八年法律第九九号による改正前のもの。以下旧法と言う。)により、被控訴人の本件免除措置は枚方市の財産の違法な処分にあたるとして、第二二回枚方市議会臨時会議事録写を添えて右措置の取消を請求したところ、枚方市監査委員は同年一〇月三日付で「地方税附加金たる固定資産税の延滞金及び延滞加算金の徴収権は地方自治法第二四三条の二の請求の対象とならない」との理由で、控訴人ら両名の請求を受理しないことに決定した旨を、控訴人ら両名に通知したことについては、被控訴人において明らかに争わないから、これを自白したものと看做される。
二、そこで先ず、控訴人が取消を求める被控訴人のなした本件免除措置が、旧法第二四三条の二にいう「財産の違法な処分」として、旧法所定のいわゆる納税者訴訟の対象となるか否かについて検討する。
旧法第二四三条の二第一項にいう「財産」の意義については、昭和三八年法律第九九号による改正前の地方自治法の条文上何等の規定も存しないので、同条の設けられた趣旨、目的等に照してこれを決しなければならない。そこで先ず同条の立法趣旨、目的について検討すると、同条の制度は米国において古くから認められている納税者訴訟の制度を戦後我国においても採り入れたものであるが、米国における右制度の由来としては、地方公共団体の公金、営造物、財産等は本来地方住民の負担にかゝる公租公課によつて形成されたものであり、地方公共団体及びその機関が納税者たる住民の信託を受けて住民全体の利益のために管理処分をなすべき所謂住民信託財産としての性質を有するものであるから、信託者たる住民が地方公共団体の役職員による信託財産の違法、不当な管理処分を防止匡正するため裁判所へ出訴する権利を認められたものである。そして、戦後我国において昭和二三年法律第一七九号により旧法第二四三条の二の制度が創設された際においても、その提案理由に徴するときは、地方公共団体の財産の不当な処理について、住民による矯正権の制度を設置することによつて、住民の信託に基く地方公共団体の公共の利益の擁護に違算のなからんことを期したものであることが認められるから、本法(旧法)における地方公共団体の財産の不当、違法な処分の防止は、右の財産が本来住民の信託に係るものであるが為であるとする右米法の発生起源における考え方を充分採り入れたものであることは明白である。しかしながら、右旧法の立法理由における地方公共団体住民のための財産擁護の必要性の根拠は、擁護の目的となる財産の範囲限定について、必ずしも唯一の、かつ充分な直接的基準たり得るものとはいい難い。このことは、新法の即ち改正法の提案理由が「住民による監査請求及び訴訟の制度に関して、現行の規定が必ずしも明確でなく、解釈上疑問の点も少くないために、住民の正当な請求が容れられないおそれがある実情にかんがみ、規定の明確化をはかるとともに、所要の手続規定を整備することにあつた点に徴しても容易に首肯せられるところであつて、このような観点からすれば、新法における「財産」の意義や範囲に関する規定は、それ自体直接に旧法時の行為について適用し得ないことは勿論であるとしても、間接的に、旧法の規定の解釈資料として参照し得られないものでは決してなく、否むしろ右の間接的資料としては大いにその価値を認めて然るべきものと考えられる。そして新法においては、その第二三七条において、「この法律において「財産」とは、公有財産、物品及び債権並びに基金をいう」と規定し、第二四〇条ではその第一項第四項において右の債権は、広く「金銭の給付を目的とする普通地方公共団体の権利」を指称し、税法に基く徴収金債権を含むことを明示しているから、少くとも租税債権として具体化された債権が右の新法における地方公共団体の財産に属することは疑の余地がなく、この新法における解釈規定は、特別の反対事由の認められぬ限りは、旧法第二四三条の二の規定における「財産」の意義と範囲についての解釈資料として、そのまま採用せられて然るべきものと考える。
被控訴人は、納税者訴訟制度の米国における発達の由来特にその本来の目的に徴して右旧法法条の「財産」につき右認定の如き解釈は許されず、地方公共団体の財産としていまだ形成されたものとは言い難い地方税賦課徴収権は、抽象的、具体的であるとを問わず右法条の財産に含まれないと主張するけれども、米国法においても法発達の過程において違法、不当な租税の免除等が納税者訴訟の名において、住民の申立対象として許容された例があることは、被控訴人においても自ら承認する通りであつて、わが国においても、納税者訴訟を定めた旧法の規定は、必ずしも厳格な意味又は起源的意味における納税者訴訟の構想を採つているとは見られないのみならず、仮りに旧法の立法者が、右法条の「財産」の解釈として、米国法における本制度の起源に捉われて、具体的租税債権すらも右の財産に含まれないとの見解を採つていたものと仮定しても、立法者の意思は法解釈上絶対的拘束力を持たないことは勿論であるし、新法における前示解釈規定の設置及びこの新設規定よりの前記の推論が、本制度の起源に由る本来の解釈でなく、その発展的解釈というべきものとしても、米国法上は勿論、わが国法の解釈としても、米国法の発達に見られるような、又はこれに照応するような右の発展的解釈は当然許容せらるべきであつて、これを否定すべき合理的理由は何等見出すことができない。換言すると、米国法がたとえ一部の州においてにもせよ、租税債権の免除等を納税者訴訟の対象として認め、またわが国法が現に右の改正の結果たる新法において、地方公共団体の住民のための権利として、住民からの信託財産形成のための権利たる租税債権をも「財産」として認めたことは、「純粋な信託財産」という限定が、発展を含む納税者訴訟の対象として、本来、必然的な限定たるの価値を持たなかつたものと見るべきであり、それはまた初めより発展の余地を含み素材を内包していたものと考えることができるのである。そしてまた、被控訴人の主張の根拠として挙示する最高裁判所の判決(昭和三八年三月一二日、民集一七巻二号三一八頁)は、いわゆる抽象的租税債権の事例に関するものであるから、本件の如く具体的租税債権の免除に関する事例には必ずしも適切でなく、少くとも前示の発展的解釈の余地を妨げるものではないと思考する。
ところで控訴人主張の被控訴人のなした枚方市の参加人に対する延滞金及び延滞加算金の免除措置は、成立に争のない甲第二号証及び弁論の全趣旨に徴すると、すでに具体化した租税債権に関するものであることは明らかであるから、前述の理由により、右免除措置に対する取消請求は、旧法第二四三条の二第一項、第四項の規定の請求の対象たり得るものと認むべく、従つて本訴は、右の請求の対象の当否の点においては適法のものというべく、これを不適法として却下した原判決は取消されなければならない。
そうすれば、本訴は更に本案につき審理の要があるから、原判決を取消した上、本件を大阪地方裁判所に差戻すべきものとし、民事訴訟法第三八八条に則り主文の通り判決する。
(裁判官 岡垣久晃 宮川種一郎 奥村正策)